万博とデザイン

七年大暑

いち来場者として万博会場を歩きながら、私自身の職能、即ちデザインやデザインの周辺分野がどのように関わり得たかと考えていた。

最も重要な役割を担ったのは建築だろう。パビリオンが建築単位で捉えられているように、万博におけるあらゆる活動は最後は建築に集約されるし、会場全体の設計も建築・土木が担う。作者名が出るのも建築家が目立つ。その建築を構成する空間デザインもまた、万博会場の実際の設計を行う立場として重要な役割を負う。ファッションデザインは会場に配置される係員の衣装によって世界感を表す重要な役割を果たす。グラフィックデザインはサイン計画や展示物に付随する掲示物によって会場を作るだけでなく、映像分野と共に展示物や内装にも関わる。同時に、各種小冊子や冊子、土産物においても広く仕事をしているし、何より、ロゴマークと公式キャラクターの展開はグラフィックデザインの究極の成果だ。

UIデザインは一昔前であれば補助的な役割に留まったかもしれないが、今回は「デジタル万博」を標榜するように、建築と並んで重要な役割であるはずだった。しかし、それと比べて秀逸な成果は達成していないと感じた。Webサイトは機能によって二種類に分割され、情報を知るには煩雑でほとんど見ることはなく、予約サイトは細かな部分が使いづらいばかりか常にエラーを起こす。あまつさえアプリはそれ以上に分割され、もはや数も覚えていない。というもの、ほとんど使用する機会も必要もなかったのだ。開発要件を満たすために存在しているように感じた。それに付き合い、果たして幾つのIDを作らされたかと考えると未だ虚しく思う。会場の地図はアプリよりも紙の方が便利と誰しもが印刷して持ち歩き、入場券も然り、Webサイトではデジタルパスを印刷するよう促され、会場入口ではQRコードをスクリーンショットするように促す放送が流れた。私には、適切な運用をもたらすアプリが設計できていないことを、自ら告知しているように聞こえた。図らずも、今回の万博は「ハードは作れるがソフトは作れない」という我が国の現状を体現していたように思う。ただ、この責任はUIデザインではなく、システム開発体制の方にあるのだろう。

さて、プロダクトデザインは「空飛ぶクルマ」のようなコンセプトデザインや、ヘルスケアパビリオンのような未来の製品を表現した展示物のデザインにおいては技能を発揮し、取手や手摺り、腰掛けといった建築の一部でも仕事をしている。ただ他の分野に比べて、万博のためにデザインしたものよりも一般の製品の方が広く使われているように感じた。金属探知機、拡声器、仕切り、柵、自動販売機、カードリーダー、昇降機やエスカレーターといった来場者が目にするものに加え、裏方でもさまざまな道具が使用されるはずだ。また、海外パビリオンに展示される各国の工業製品や工芸品、あるいはコンセプトデザインにせよ、基本的には通常の業務としてデザインしたものが結果として展示されているように思う。

各国パビリオンの建築家にはいずれも著名な名前が並ぶが、休憩所や便所は「若手建築家」が手掛け、私と同世代あるいは年下にあたる方が選ばれている。それを知り、改めて日々の仕事を丁寧かつ着実に行なわねばと身を引き締めた。

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