万国博覧

七年小暑

夢洲駅の改札を出ると、遠くに大屋根リングが見える。まずもって、その雄大な姿に圧倒させられた。万博会場に入って屋根下を歩き、終わりなく続く構造を見上げながら、今度は建築物として感心した。そして屋根上に登り、遥か遠くの対岸を見ながら、世界各国のパビリオンが壮大な一つの正円の中に収まる情景を眺め、私は茫然とした。万博でしか成し得ない建築が、万博を明快に象徴している。何より、これを思い切れる建築家の胆力に畏怖し、完成した時にいかなる気持ちが沸いたかと想像すると、逆説的だが、私には想像でき得るものではないのだと悟った。

会場には第一線の建築家が手掛けた建築が見渡す限り並び、建築巡りだけで十分満足できる。海外パビリオン内は、文化や風土を紹介するものや日本との関係性や歴史を説明するもの、持続可能性に対する取り組みを示すものと様々な展示形式が見られたが、私はとりわけ文化や風土の紹介を面白く思った。つい馴染みのある国に足を向けがちだが、それ故、むしろ聞き慣れない国こそ入る価値がある。その意味で、それまで知る由もなかった国のそれに触れることができる「コモンズ館」は大変興味深かった。COMMONS-A、Bには入れたが、全て観られなかったことを惜しく思う。

「イタリア館」は四時間並ぶだけの価値があった。彫刻ばかりでなく次期冬季五輪の炬火もあり、古代から現代まで、いわばイタリア何某展の見所だけを揃えたような品揃えで、当国の文化の厚みを感じさせた。私が何より目を見張ったのは、レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチだ。一介のデザイナーとして震えるほどの感動を覚え、肉眼で時間の限り観察した。本の一節を思い出す。「ここにレオナルド・ダ・ヴィンチの素描がある。私はその素描のなかに入り込み、描きながら難問にとりくむレオナルドを眺め、そこで彼に出会う。」[1]

「サウジアラビア館」は建築の質に驚かされた。万博の性質上、見本市における大企業ブースの延長線上のような、いわば仮設の建築物として作られたパビリオンも散見される中、建築物としての作りやサイングラフィック(日本語が適切に組まれているパビリオンは多くない)、そして展示内容や展示物の見せ方も含め、あたかも常設のような申し分ない完成度であった。次回の登録博覧会の主催国故に力を入れたのかもしれないが、何より当国の資金力を感じさせた。

「オランダ館」は満足度が高かった。ファサードは優しくも洗練された印象の作りで、キャラクターを用いて親しみやすさも出しつつ、技術を活かした娯楽性のある内容となっており、誰もが楽しめるものとなっている。その上で、私としては「オランダ風説書」に言及されている点に感心した。忘れがちであるが、非常に古くから日本と外交関係のある国の一つなのだ。

「チェコ館」は素朴かつ丁寧な作りで、対比的に好感を持った。ボヘミアンガラスを前面に使用した建築は、滞在していて心地良く、技術を誇示するばかりでなく当国の魅力を表している。何より、ビールが旨かった。この際なのでミルコ(グラスのほとんどが泡となる注ぎ方)を試すつもりであったが、貧乏性か、結局はハラディンカ(日本の泡の配分に近い注ぎ方)を選んだことは白状しておこう。

愛知万博を踏まえると、次は二十年後かもしれない。満喫したと思っていたが、再訪する好機がないものかと暦を眺める私がいる。それだけ今回の万博は素晴らしく、同時に万博自体の素晴らしさも知れたように思う。

[1] ロバート・ヘンライ 著、『アート・スピリット』、国書刊行会、2011

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