ダークモード考

GUIデザインにおける「ダークモード」は目に優しいという。コンピュータの一般化に向けてデスクトップメタファーやWYSIWYGが開発され、CUIからGUIに移行する中で画面表現は黒色基調から白色基調に変化したものと思われる。「紙」のイメージを転用したのだ。時代は下ってスマートフォンが普及し、気付けば世界中の人々は一日の大半の時間を画面に目を向けている。Apple Watchのフラッシュライトよろしく、バックライトが点灯する白色の画面はライトに他ならない。言い換えれば、一日中光源を見つめているのである。画面が黒色基調となれば画面全体の眩しさは抑えられ、身体的負担は幾分軽減されるというわけだ。使えば確かにそう感じるが、それだけでなく画面自体の長寿命化につながることにも着目したい。液晶ディスプレイを置き換えつつある有機ELディスプレイにおける「黒色」は、技術的にいえば「非点灯」なのだ。理に適っているといえる。加えて、真新しい表現が商業的なアイコンとなる点も無視できないだろう。いわゆる「フラットデザイン」の一件を踏まえれば、その奇異な名称も含めた記号的差異による市場優位性が、その表現自体の普及を後押しすると理解される。

このことを利用して、現代のデザイナーは誰もが——とりわけプロダクトデザイナーこそが「ダークモード」の表現に取り組むべきである。それは今のところ単なる新機能の一つに留まっているようだ。しかし、私はそれが将来のGUIデザインの標準様式になると考えている。つまり、画面の素材色は黒色なのだ——これほど単純な理由はない!CUIの背景色は必然的に黒色だった。しかし、GUIをデザインする過程で(デザイン自身が)画面という素材を秘匿してきたからこそ、他でもないデザイナーがこのことに気付けなかったのである。画面の重要性が上がることで紙の相対的な地位は下がり、もはや画面が紙を模倣する必要性はなくなった。その種のメタファーが不要になるならば、画面という素材の自然色には着目するべきだろう。さまざまな素材の特性をデザインの上でどう用いるだろうか?全く同じことである。画面表現を素材の研究と考えれば、GUIの表現をただグラフィックデザインの延長として扱うべきではない。画面という矩形はプロダクトデザイナーの管轄外の領域ではなく、まさしくプロダクトデザイン自身のデザイン対象として回帰したのである。

Apple Watchに外観モードは存在しない。他のデバイスにおける「ダークモード」に準ずる表現が唯一の選択肢となっているわけだが、すなわち不可分なのである。Appleはこの製品のデザインにおいて画面の部品分割線をガラスのハイライトに隠し、ホーム画面や各Appでは各要素が製品の形状に合わせて沈み込むようなスクロール表現を行なった。製品の「物体としての造形」と「画面内の表現」が一体となり、情報自身と一体の意味を持たせた。このことがApple Watchの類稀なる美しさを担保した。

画面を持つ製品にはベゼルと呼ばれる領域が生まれ、必然的にデザインの分野も分化した。しかし画面の高画素密度化を(高密度な情報表現に留めず)高精細化に用い、画面を表面として、画面表現をテクスチャーとして捉え直すことで、工業製品の造形とインターフェースの区別はなくなった。このことが新たな設計指針を、次なる情報通信機器のかたちを促した。ダークモードは、決して画面内の流行ではないのだ。

本論考は西暦2015〜18年頃に書き留めた内容をまとめたものです

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