電子化の境目

音楽がレコードからCDに変わった時、電子化されたものは内容であり、そのあり方は電子化しなかった。リッピングやダウンロード、MP3プレーヤーの登場によって、初めてそのあり方も電子化する。さらにストリーミングとサブスクリプションの普及によって、あらゆる面でデジタルメディアに最適なかたちに置き換わり、真の意味での電子化を達成したといえる。この段階から振り返って初めて、レコードが持っていた普遍的価値が再確認された。それは、真の意味でアナログなものであることだ。デジタルメディアの高い利便性が、アナログメディアを淘汰するばかりか、それ特有の価値を強調した。

音楽の場合は選曲すれば耳を傾ける行為が中心となるが、読書の場合は文字を追い続ける必要がある。読書の電子化によって、画面を見つめ続けなければならなくなった。電子書籍リーダーが読書好きから支持されている理由は、電子ペーパーによって画面が紙に近い質的特徴を持つことだ。加えて、ここでは電子書籍リーダーが汎用でないことにも注目したい。専用機器であるため、スマートフォンやタブレットほどさまざまな仕組みを理解した上で使用する必要がないし、何より余計な通信もない。従って、単純で理解しやすく、その行為に集中できる。本を読む時くらいはスマートフォンを触りたくない、というわけだ。しかしそれ以上に重要な点は、その対象に対して固有であることである。すなわち、それが常に本として物理的に存在し、接することができる。そもそも本は本であり、電卓にもテレビにもならない。読書とは、読者と筆者との対話だ。逆説的だが、紙の本のインターフェースは、そういった本の本質に集中でき、読者と内容を繋ぎ目なく結び付ける——まさしくアナログに。対極的に形づけられた電子書籍が、読書における電子化されない価値を際立たせた。読書らしさという、機能表には現れない価値を。(タブレットにおける物理キーボードのように、移行期の一時的なものに思えるかもしれない。確かに個々の要素が他の技術に置き換わるようなことはあり得る。しかし音楽におけるCDやMD等とは異なり、技術的にではなく意識的に選択されている点が重要だ。専用機器を使うことがその行為の意味合いを際立たせる。音楽で考えるならば、無線接続のスピーカーがそれにあたるだろう。電子化の恩恵を最大に受けられる汎用の機器だけあればよいはずが、こだわりがある対象については専用機器に意義が見出されている。)

電子書籍であれば、手に入れたまま読んでいない本、積ん読は、ただリストが長くなるだけで済む。しかし、紙の本では文字通り本が本として積まれていく。終いには積まれた本から圧を受けているような錯覚さえ覚え、いよいよ積ん読を消化することになるだろう。これは数値的情報から受ける感覚とは異なるものだ。電子化された対象の内容は、いずれにせよコンピューターを介在しなければ物理的に存在し得ない。電子書籍リーダーの場合も、本という対象は維持しつつもその内容は画面越しに現われ、消える。しかし、紙の本はその内容に固有な体積を持った物質として、生活空間の中で普遍的に、つまりその対象の内容と、空間そして身体が連続なものとして存続し続ける。

紙の本が生活空間に存在することで、本を読み終えた際に覚える豊かな感覚——他の人生へと旅した時間の、あるいは自分が一変した感覚に対する記憶等々に、日常の中でふと、無意識的に、誘われないだろうか。花瓶に挿した花から自然や季節を感じるように、絵画やポスターを通してその世界観に接し続けようと試みるように、紙の本によって様々な知的空間との繋がりが維持されるように思う。われわれは"合理的な"ホワイトキューブで生きられるわけではない。そこに意味を与えるものが物質であり、メッセージ性を持ち空間を表現する。そして、重要な点は、それが生活空間の中で最も身近な人との間で分かち合われることである。情報通信機器、そして情報サービスにおけるアカウントは、基本的に個人的なものだ。しかし、アナログなものは空間性、公共性を自然に帯びる。あらゆる対象を経済性の元に電子化、ひいては平準化し、個人の精神内にのみ存在させるべきではない。専用機器を以ってしても得られない価値がここにある。子供にとって、親の本棚には意義があるのだから。(なお、このようなことは、その性質を単なる記号としてインテリアに利用する手法を肯定しない。)

社会全体としてみれば、アナログなものに積極的に回帰することはない。だからといって、それを使い続けることを以って懐古趣味と批判できるものではない。逆に、旧式なことを以って直ちに価値があると述べているわけでもない。電子化されたものに、新しい技術や方式の登場によりさらなる電子化がもたらされる一方で、電子化が進んだからこそ、その対象の電子化できない価値が露わになる。「電子化」の指し示す意味は曖昧すぎる。だからこそ、その境目を考えることが、その対象の本質を理解することに繋がる。

本論考は西暦2015〜18年頃に書き留めた内容をまとめたものです

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