製品設計家(product designer)
「製品設計家」は造語ではない。product designerに対してあてた訳語である。「デザイン」や「デザイナー」が記号消費され、漠然としたおしゃれらしさのようなものとして扱われている現代において、改めてその分野の根源的な意味を見直すよう促したいと考えていた。しかしながら、偉大なる先人達が切り開いてきたその言葉——すなわち分野を、先人の知恵や経験の上で活動しているにも関わらずやすやすと放棄できない。もちろん消費を喚起するための造語や言い換えをするつもりもない。その中で表明するに相応しいものは、未だ適切にあてがわれていないその訳語であると考えた。明治維新が興った時、例えば西周がphilosophyに対して「哲学」をあてたように、先人達は西欧言葉を日本語に翻訳することで西欧文明を日本文化に正しく取り入れようとした。その知恵に学ぼうと思ったのだ。
デザインに限らず、近代の分野には、外来語をカタカナのまま使用する戦後文化も相俟って適切に訳されていないことが多い。確かにデザインには既に「意匠」という訳語はあるし、工学系のデザイン学科にかつてよく使われていた「工業意匠」も悪い名称ではないかもしれない。しかしあまり一般化されてない上に、デザイン以外の創作活動による図柄に対しても「意匠」という言葉が用いられるため、その言葉では、デザインにおける材料や製法といった工学的な側面や、思想や批評といった芸術的な側面が隠れてしまっているように思う。つまり「意匠」はdesignに対する訳語というよりは、日本の中で発展した和製英語としての「デザイン」に対する訳語であると捉えた方が正しいように思えるのだ。
さて、ここからは「製品設計家」の言葉に至った過程を記しておきたい。結論至ったのは西暦2017年の秋頃だ。訳語であるのだから、当然「かな」で読むことができ「漢字」で表記される必要がある。そこで多くの日本語の源流である中国語を参照した。すると、product designは「產品設計師(繁体)」「产品设计师(簡体)」と訳されているという。まずはこの「産品設計師」という言葉の響きを土台にして考えていこうと考えた。しかし産品という言葉はあまり日本語として自然ではない。そこで、productに対して既にあてられている日本語訳である「製品」を用いることにした。designについては、中国の訳語と同様に、まさしく「設計」こそがデザインであることにいささかの疑問はない。最後にerの訳である。日本語におけるこの言葉の訳し方は思いの外多く、人・者・師・家・員・士・官・手・工などがある。これらには厳格な区別はないようなので、その言葉が持つ意味合いを加味して選択するべきだろう。専門性が高いから「師」を選ぶべきかもしれないし、技術を活用するから「者」を選ぶべきかもしれない。当然正解はないが、私のデザイン史に対する理解を踏まえ、ここでは「家」にするべきだと判断した。資格はないが専門性が高く、上流工程に位置しながら受託関係が多い。企画実現のための技術職としての一面を持ちながら、最終的には文化や芸術に奉仕する。この多義的な分野に相応しい接尾辞は、建築家や芸術家と同様に「家」ではないだろうか。
この結論に至った時、母国語で概念を捉える意義を感じた。素直な翻訳にはなってしまったが、だからこそしっくりくる。「回路を設計する」や「機構を設計をする」と同じ使い方として「製品を設計する」。巷で用いられる「デザインする」よりも正確に、その活動内容が想起される。さらに職業表記としての「家」によって、商業的成功や技術的運用だけではなく、科学技術に対するインスピレーションや尊敬、デザインの源流である芸術運動の存在をにじませる。designの本来の意味を、より適切に表現できているのではないだろうか。