四年雨水/天職
つくづく、デザイナーが天職だと感じる。一生続けていきたいし、そう努力し続けるつもりだ。幼い頃からデザインに触れる機会が多く、といった話ができれば物語として美しいかもしれない。しかしデザインは私にとって後天的なものだ。元々はいわゆる理数系科目が得意で、 最も得意な科目は「物理」だった。得意というより、いたく好きだった。市の図書館で自習する合間、休憩しようと物理学の棚に向かっていた程だ。それから、志望大学を決めるべく進学先を調べていく過程で工学部にあるデザイン学科の存在を知り、同時に初めて「デザイン」の存在を意識したのである。
美大を進学先の候補には入れなかった。実技試験に対応できない、という単純な理由に因る。入学して間もない頃にはそういう面を負い目に感じていた。しかしデザインを学ぶにつれ、それを以ってして不利とはいえないと分かった。正しい形を発見する能力こそが、デザイナーにとって重要なのだ。デザインは芸術と科学の交点にある。この頃はさまざまなデザイン学科が増えているが、われわれのように自然科学を出自とする者が居るように、社会科学や人文科学を出自とする者が居て然るべきだろう。当然、 最終的には造形して始めてデザイナーであり、そのことに何ら変わりはない。もともと絵が描けなかったとて、志した以上はその手の技能を習得するべく努力する必要がある。さりとて、美術を出自とする者の造形に対する闘争心には目を見張るものがある。私は未だその強さを獲得できていないように感じ、自省する。
今となっては、自分自身とデザインは切り離せない。私生活においても常日頃デザインのことを考えているし、社会生活においても「デザイナーの髙橋さん」として人付き合いが進む。私自身、デザインを学ぶ過程でデザインに影響を受け、いろいろと変化した。しかし時折そうではなかった頃の、すなわち元々の私を郷愁する。人生にはさまざまな分岐点がある。大学受験における第一志望は工学部のデザイン学科であったが、数がそう多くないため、第二志望には物理学科を選んでいた。これが、私の人生にとって重要な分岐点の一つだ。もし、物理学科に進学していたならば、今頃どうしていたのだろう。もし、デザインと無縁のままであったなら。さまざまな意味で全く違う人生だったに違いないが、その一方で、理論物理学者を天職に挙げ、こうしてひたすら文章を書き連ねているのだろうとも思うのである。