三年大雪/車事始め

今更ながら、普通自動車免許の教習所に通い始めた。両親からは早く取得するようしばしば言われてきたが、都区内在住の以上その必要性は現時点においても全くなく、よくいわれるところの「身分証のため」といった正当化をするつもりもない。あえていえば、身の回りに車好きの者が多く度々唆されてきたことや、この頃の感染症による社会活動の制約がなくなった後から通う気にはならないだろうと思ったこと、逆に都区外の車が必要となる地域では行動の制約を受けることに気付いたこと等、いろいろな出来事の中で気持ちが昂ったからとでもいおうか。

車といえば、インダストリアルデザイナーにとって最も大きなデザイン対象であり、その意味に於いて憧れの対象でもある。それを生業としているのだから車にはもともと興味を持っていて然るべきだろう。しかし私の場合は、学生時分に「プロダクトデザインを学ぶのだから車のことを知らなければならない」という考えのもと、車に興味を持つよう自らを促した。順序が全く逆なのである。思えばカメラに於いてもそうだった。写真撮影を趣味にするような性格だからデザイナーを志しそうなものだが、私の場合は「デザイナーを志すのだからカメラに興味を持たなければならない」という理由でカメラを持つようになった。つくづく倒錯している。あるいはデザインを学ぶことに対して忠実ともいえるのかもしれないが。

カメラの使い方を身に付ける過程で、初めはプログラムオートから始めた。多くの経験者による「マニュアルは必要ない、絞り優先かシャッタースピード優先で十分」といった教えに従い、操作に慣れてきた頃からそれらのモードを使った。しかしその機能の意味を学んだ上でも両者を使い分けられず、つい適当に露出補正で明るさを合わせて撮影してしまう。ある時ふいにマニュアルモードに切り替えてみると、ただ撮像すらできないことに気付く。しかし徐々に各設定項目の機構上を役割を体感し始め、いつしか満足に撮影できるようになった。すると、絞り優先及びシャッタースピード優先の各モードもまた、使い分けられるようになっていたのである。この順序で学ぶ意義を経験できたのは、私の思索に非常に大きな影響を与えた。新しい物事を身に付ける上で、また新しい物事をデザインする上でも、ある機能がある機構の「何を省略するのか」を正しく理解することが重要なのだ。

さて、そういうわけでオートマチック限定免許ではなくマニュアル車の免許を選択したのだが、生来運動神経が悪いのも相まって大いに苦労しているところだ。しかし、物理的な機構を直接操る面白さも徐々に感じ始めている。ややこしい人間性であることは自覚しているが、その要素がもうひとつ増えてしまうかもしれない。いろいろと先が思いやられながら、今日も教習所に通っている。

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