三年寒露/道具の完成

新型iPhoneは秋の風物詩だった。眠い目を擦りながらスティーブ・ジョブズのプレゼンテーションの情報を追い、発売日には早くから本体を確認しに出向く。未完成のものがどのように形作られていくかを、時代と共に、社会と共に、確かめていく感触があった。だからこそひとつひとつが面白かったのだろう。iPhone XRの頃からだ。気づけば新しいカメラの発売に成り代わり、努めて気に掛ける必要がなくなった。端的にいえば、スマートフォンは道具として完成したのである。

とはいえ、今でもAppleに注目すべきなことには変わらない。Apple Watchは独壇場で発展しているし、AirPodsは瞬く間にイヤホンの定型となった。この両者を組み合わせた姿にはスマートフォンを置き換える潜在性があると思うのだが、そのためにはSiriが、『her/世界でひとつの彼女』におけるサマンサとまではいわないが、高度な水準にならねばならない。逆に、それさえ叶えば他に追従できないものになるように思う。この領域には成り行きを見守る価値があるが、Siriのアップデートはほとんどなされなくなっている。

完成した道具は些細な改良に走るのが常だ。わずかに滑らかになった筆記具、比較的軽くなった調理器具、ささやかな億劫さを解消する白物家電。当然、わざわざ書きづらいボールペンを使い続ける必要はない。しかし滑らかさに比例して創造性が高まるわけでもないのだ。翻ってスマートフォンにおいても、カメラの数が増えようと、バッテリーが多少長持ちしようと、それまでの役割を大きく拡張するものではない。パソコンを立ち上げることがなくなり、離れた人とのコミュニケーションの密度が高まり、テレビに拘束されずに行動でき、財布やカメラを常に持ち歩かずとも使える。日常生活のあり方、行動にそういった変化をもたらせばこそ、既存の道具をスマートフォンに置き換えていく価値を認めていたわけだが、もはやスマートフォンという道具における可能性は広がり尽くしたのだろう。誰しもが高度なゲームに熱中するわけでも、映画を撮影するわけでも、海の中に潜るわけでもないのだ。

照明をいつ買い替えるだろうか。引越して生活空間が大きく変化したときか、使用し続けて物理的に故障したときか、蛍光灯からLEDへ基幹の技術が移り変わったときか、気に入る造形のものに出会ったときか。よほどの照明好きでない限り、毎年のように新商品に買い替えることはないはずだ。スマートフォンもまた、そのような日用品のひとつになったのである。わずかな改善を求めたところで、その道具の用途は変わらない。然らば、その道具を用いて何を行うのかをもう一度思い出すべきだ。新しいカメラに買い換え続けるより、古いカメラで旅に出たい。道具は、仕事を果たしてこそ道具なのだから。

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