三年秋分/本物とは
新潟県の佐渡ヶ島に縁があり、数年前の今頃にも訪れていた。島内を巡っていると、神社の境内で古い能舞台をしばしば見かける。都心で想像するような、劇場施設としての能楽堂ではなく、ほとんど野生の能舞台かと見紛う。調べてみれば、佐渡ヶ島は、能を大成した世阿弥が七十二歳の時、第六代将軍足利義教によって流刑になった地だという。その後、江戸時代になってから能文化が島内に広まり、神事として発達、多くの能舞台が作られたそうだ。今でも三十以上、日本の三分の一に及ぶ数が現存し、島民によって演じ継がれている。ちょうどその夜にも開催されると聞き、折角なので見に行くことにした。
一礼して鳥居をくぐり、右手にある能舞台に向かう。そもそも神社であるのだから、待つ間も自然と神妙な気持ちになる。しばらくすると能囃子が鳴り始め、大きな松明を持った巫女が二名、舞台前に現れる。松明は白装束の火守りに渡り、篝火が灯される。そうして「薪能」が始まった。
能には、院生時分に授業で少し接した。母校には能楽研究所があり、第一人者足る観世流の能楽師の方が講師だった。この時に、はじめて能を鑑賞した。その構造や歴史を学び、舞台の上に登り、能面を手に取ることもできた。また接する機会があるとは思わなかったが、授業を受けていて幸いした。とはいえ単に授業を受けただけであり、急に見る演目に対する知識を持ち合わせてはいない。また、都心のビルの中にある能楽堂のように、ここでは演目に関する十分な解説があるわけでも、現代語訳の字幕が表示されるわけでもない。内容はほとんど理解できずにいた。
だからこそ、だろう。「伝統芸能」を見に来ているのではなく、幻想的な雰囲気の中に佇み、幽玄を体感しているように思えた。見上げると無数の星々がある。宇宙の中の、星の中の、空の中の、島の中の、山の中の、森の中の、人々と、虫の音、能囃子、月の光、篝火、舞台の灯り、全てが一つとなり、舞いを作り上げていた。風土と歴史が一つの形に、神事として結実している。この時に、はじめて能を観照した。
このことは強烈な体験だった。本物とは何なのか?われわれはあらゆる物事を、経験も、理解も、説明も、表現も、使用も、製作も、できるようになった。しかし、そう思い込んでいるだけではないのか。そのことにすら気付けていないのかもしれない。果たして、物事の真の姿を捉え、知り、作ることができているのだろうか?