三年立秋/外出自粛

ここ数週間の感染拡大には最も危機感を覚えている。都区内に住んでいる上、身近な者の中でも発症者が出始めた。SARSのように終息すれば幸いだが、MERSは未だ収束していない。COVID-19もまた、いずれは重篤な風邪の一種として見なすのだろう。とはいえ現時点ではその見通しがないし、そうであっても風邪は引きたくない。一人暮らしの中で胃腸風邪に罹り、三十九度を超える高熱が出たことがあった。歩けば五分も掛からない病院に行くのがひどく辛く、薬をもらって尚、何日も絶食が必要だった。あのことが脳裏によぎる。そういうわけで今回の宣言下においては、ほとんど昨年春以来の警戒感を持って外出自粛している。

私は元来出不精で、在宅推奨自体にはさほど動揺しなかった。せっかく自宅にいるのだから、自宅でしかできないことをすればいい。確かに、精神的な限界からか休日になれば飲んだくれるような期間もあったが、無為な日々には耐えられなくなるものだ。整理や掃除、日用品の買い替え等を積極的にすすめた。職業柄か、性格か、こういった行為の中でこそあれこれ考えてしまう。鍋の一つを買い増すにあたっても、道具の分類、歴史や文化的背景、製品企画、素材の特性、美観や使用性、台所空間上の美観、実際の利便性や経済性等々を、当然の過程として調査、比較、検討する。手に取り、使用して初めて気付くことも多い。ただ面倒ともいえるが、体感的に思索できる機会と捉えている。

とはいえ家事ばかりを行えるものではなく、いろいろな試みもすすめている。随筆もその一環である。昨年の展示会のWebサイトや個人の作品集を整え、昨年にはほとんど読書しなかった反省から積ん読を積極的に崩す。この頃はさまざまな歴史書を読み進めている。私は工学系出身で、大学受験の際にはいわゆる理系科目を中心に学んだため、とりわけ歴史知識の欠落を自覚していた。大学以降の学習は座学中心ではなくなり、知識の体系的理解に集中する学習行為がまるで受験勉強のようで郷愁に駆られている。幸い健康のまま、困窮に陥ることもなく、こうしていられるだけでも有難い。しかし外に出ることも人に会うこともなく、生活の全てを仕事に還元しているのだから、どこか気が休まらないようにも思う。

私は大学受験の際に、予備校等に通わずに自宅で独学する「自宅浪人」を自ら選んだ。確かに、精神的な限界からか怠惰に過ごす期間もあった。しかし外に出ることも家族以外の人に会うこともなく、生活の全てを受験勉強に捧げた。ここ一年半の状況は、自宅浪人のそれに極めて近いように思う。しかし大学受験には期日があり、その暁には元通りの生活が再び始まる。その事実を糧にしていた。一方、今現在の状況においては糧になる事実が見いだせない。終わりのない自宅浪人のさなかにいるような感覚が拭えないのである。

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