三年立夏/知りたいこと
洗濯機が壊れた。保証期間はいつまでか、修理の手配はどうするのか、しばらく着る服はあるか。ただただ億劫になってくる。だからこそ、この時にしか気付けないことを探し始める。意外にも近所にはいくつもコインランドリーがあった。状況をWebで確認できる小綺麗な店があると思えば、昔ながらの縦型洗濯機が並んだ吹きさらしの店もある。後者の方が好みだ。洗濯機の修理に立ち会うにあたっても、分解手順を観察し、機構設計を覗き見て、交換された部品を手に取る。やりづらい客だったろうとは、思う。
私の興味、あるいは行動原理を突き詰めてみると、知らないことに対する知的好奇心、つまり「未知」に対する魅力なのだと気付く。だからこそ、身の回りの物事の原理を知ることに対して執着を持ってしまう。
デザインについてもそうだった。美術館や企画展に足繁く通って体感し、本を読み漁っては理論や背景を学ぶ。少しずつ知っていくと同時に、知らないことが見つかる。学生時分、デザインよりもデザイン評論をやればいいと言われたことがあったが無理もない。しかし理論の構築だけでは知り得ない、制作して初めて知れることがデザインにはある。作る中で「そうか、こういうことか」と実感する瞬間が。
知ることは、知らないことがなくなっていくこと。そもそも興味を抱かないことは知らないままでいい。自分自身が興味を持てるような「未知」がなくなってしまうのではないか、そう一抹の寂しさを覚え始め、この頃は「知らないままに楽しめること」も大切にしたいと思うようになった。
それは、どうやら音楽のようだ。音楽には、何より先に心を揺さぶる、あるいはデザインには及ばないような力がある。『ハリー・ポッターと賢者の石』におけるアルバス・ダンブルドアの「ああ、音楽は何にもまさる魔法じゃ」の台詞はつよく覚えている。ただ、私はいわゆる「音楽好き」ではない。かといってオーディオマニアでもない。どの楽器も弾けないどころか五線譜は読めず、楽曲の成り立ちや構造も知らない。私にとって、珍しく普通に消費できているのが音楽だ。
それほど興味があるなら、何か手を出してみたほうがいいだろうか。すると、日々聞いている流行りのJ-POPを批評的に聞かなくなったり、はたまたクラシック音楽やヒップホップを褒めそやしたりと、そういう私が想像できてしまうのだ。
やはり、知りたいことのままにしておこう。そういうことが、ひとつくらい残ったままでもいい。